第4回目は、ギャンブル障害(嗜癖)のDさんです。
※個人情報等について、加工しています。
1.支援の経緯
葛飾区福祉事務所より入所の相談電話がありました・・・と、いつもであれば、このあと面談までの経緯を書いていくのですが、今回のDさんは、他の人たちと事情が異なります。
施設利用者を経て、当会支援付き職員として採用され、そのあと苦楽をともにしながら一緒に勤務したからです。
そのため、Dさんの生育歴と生活課題については、他の利用者さんとは異なるかたちで理解していくことになりました。
こうした理由により、今回はいつもとは異なる部分があります。
2.生育歴の聞き取り
福祉事務所ではじめてであったDさんが語ってくれた生育歴は、以下のとおりです。
Dさんは、両親が離婚したため、中学校1年生のとき転校します。義母とすでに同居していた父親に引き取られたDさんは、父と義母、義妹の4人で暮らしはじめます。実母の所在は不明で、実姉2人とは、連絡はつく関係でした。
都内F市へ引っ越したあと、Dさんは公立の定時制高校に入学します。
日中は、父が経営するコンビニの手伝いをしなければならず、生活は多忙でした。そのため、高校には通う時間がなかなかとれませんでした。高校1年生の12月頃、先生から「このままでは留年になる」と警告され、しかたなく翌年3月、中退することに決めます。学校とコンビニ手伝いのどちらを選ぶかと問われたので、躊躇なくコンビニ手伝いを選ぶことにしました。
しかし、高校中退が明らかになると、父親と激しくケンカすることになります。幼少期から父親の暴力がひどく、「殴る蹴るは日常茶飯事で、父親が不機嫌にならないように気をつかって生きてきた」きたDさんにとって、父親から怒られないために選んだ決断だったはずでしたが、「自分(父)に相談がない」という理由で激しく叱られたため、ついに我慢の限界を迎えます。
実家を飛び出したDさんは、コンビニにあるバイト募集雑誌で見つけた配管工に応募します。実家と同じF市内の、社長名義で借りてくれたアパートにひとりで暮らはじめます。結果的に、約4年間、配管工として勤めました。
ある日、父親から電話が入ります。「体調が悪くなったので、仕事を手伝ってくれ」とのことでした。実家を飛び出してから月日も過ぎていたため、F市内にある父宅に戻ることにしました。ですが、あいかわらず暴言・暴力は続いていたらしく、義母・義妹とは別居中の状態で、父親はひとりで暮らしていました。
体調の悪い父親の代わりに、Dさんはぶっつけ本番でコンビニ経営をはじめます。ですが、ほどなくして父親は逝去してしまいます。実務経験もないため、とうぜん経営は上手くいかず、コンビニは閉店せざるをえなくなります。
落ち込む暇もなく、Dさんはすぐに防水工職人として働きはじめます。コンビニでレジ打ちをしていたとき、お昼ご飯を買いに立ち寄る職人さんたちの姿がかっこよくみえたから、というのが就職理由でした。
続いて、生活費の負担を少しでも減らすため、別の会社で働いていた実姉1人に連絡をとり、「アパートを借りるお金が貯まるまで、一緒に暮らそう」と共同生活を提案し、二人暮らしをはじめます。
実姉との仲はそれほどよくありませんでした。ですが、父親から暴力を受け、耐えつづけてきたという共通体験があったので、Dさんとしても家族の情はかなり感じていました。
共同生活をはじめて2~3ヶ月経ったころのことです。今度は生活に困窮していた義母と義妹が転がり込み、4人で暮らしはじめます。しかも、義母は借金を抱えた状態で、義妹も私立高校の学費支払いに追われていました。見かねたDさんは、いたしかたなく義母の借金と義妹の学費約12万円/月(借金返済に4万円、学費に月8万円)を、自分の給与から毎月支払うことを決めます。
約2年半年後、義妹が卒業をむかえ、ようやく学費支払いが終わります。ようやく義母と義妹に対して、Dさんは「一緒に働いて生活を支えてくれ」とお願いします。ところが、2人ともいっこうに働くそぶりをみせません。そればかりか、Dさんに対して生活費を無心しはじめるようになります。
募り募ったイライラがついに爆発し、Dさんはふたたび家を飛び出します。
飛び出したあとの2~3ヶ月は、F市内のパチンコ店や漫画喫茶で過しはじめます。ギャンブルをして生活費を稼ごうともしました。しかしプロギャンブラーとしての生活は失敗し、所持金も尽き果ててしまいます。困り果てたDさんは、生活困窮支援制度についてインターネットで調べ、東京都23区内であれば自立支援センターという制度が利用できることを知ります。交通の便がよかったS区に移動して相談、その当時運営されていた自立支援センター目黒寮に入所することになります。
入所時面談では、即時就労を希望しました。しかし、施設利用の条件として、「就労ではなく、ギャンブル依存症を治療するための通院が条件」と言い渡されます。しかたなく、ギャンブル依存症の治療先として指定された麻布十番にあるSクリニックへ通院しはじめます。
Sクリニックでは、「ギャンブル依存よりもコミュニケーションに問題がある」と指摘されています。
DさんはSクリニックへの通院をつづけました。ところが、しばらく通院してみると、重度の精神疾患を患った人が多いことに気づきます。「自分はこの人たちとは違う」という気持ちが強くなり、数回通っただけで、通院をやめてしまいました。
自立支援センター目黒寮は6月から11月まで約6ヶ月利用し、そのあいだに葛飾区亀有にあるパチスロ店にDさんは就職します。こうして自立支援センターを退寮したDさんは、隣県M市の社員寮から葛飾区亀有まで通勤する生活をはじめます。
正社員としてパチスロ店に勤務しはじめると、業務もまだうろ覚えにもかかわらず、主任へと昇格しまます。そして、昇格したとたん、休憩時間も休日もなくなる生活に突入します。残業も多く、プレッシャーもかなりきつかったため耐えきれず、平成27年3月頃、Dさんは夜逃げします。
Dさんは社員寮のあったM市のマンガ喫茶に泊まりながら、パチンコに明け暮れるという生活を過ごします。2~3ヶ月後には所持金が尽き、その年の6月10日、葛飾区福祉事務所へ相談、ふたたび自立支援センター足立寮(当時)に入寮します。ここでも重度のギャンブル依存と判定され、就職活動をめざす就労移行プログラムに進むことができませんでした。
こうして、私たちと面談することになりました。
3.生活状況の聞き取り
・Dさん自身としては、ギャンブル依存症という自覚は感じておらず、「自分の気持ちの問題であって、病気ではない」という考えかたにこだわっていました。
・Sクリニックでは、コミュニケーションに問題ありと診断されています。
・幼少期から父からの暴力を避けるため、父が不機嫌にならないように気を遣って生きてきたとのことでした。そのためか、コンビニのレジ対応中に「おつり〇円です」と伝えようとすると、どもったり体が痙攣したことがあったそうです。パチスロ店でも、主任に昇格し、朝礼で他の従業員の前であいさつするさい、どもったり体が痙攣したりしていたとのことでした。
・他方で、とくにギャンブルとギャンブルに関連したDさんの言動について、支援者の立場からする助言や見立てに対しては、「こたえない」「語らない」「へそを曲げる」というような態度をとったり、ときおり冷笑的な笑いを浮かべることがあり、消極的なかたちで反発している印象を受けました。
・タバコは2日で1箱(紙タバコ20本)、で、酒はつきあう程度しかのめない(体質的に受けつけない)。
・借金は入所当時で、大手消費者金融から200万円ほどあり。生活費とギャンブル代に充てたとのことでした。
4.生活課題を明らかにする
聞き取り時に気になったことは、以下3点です。
①自立支援センター利用時にギャンブル依存と見立てられていますが、Dさん本人にはその自覚がないこと。
Dさん本人は「自分の気持ちの問題で、自己責任」という考えかたに固執しており、病識がない様子です。「治したい」という気持ちがないため、このような状態で通院しても治療効果は期待できるはずがありません。
②幼少期から父親の機嫌を損なわないように気を使って生きてきたこと
暴言・暴力から逃れるため、幼少期から相手の気持ちを読み取とろうとして、過剰に気をつかってしまう特性が身についているかもしれません。相手を怒らせたりしてしまうと、普通の人以上に心理的ダメージを受ける可能性がありそうです。その結果、どもってしまったり体が痙攣する"反応"につながっているのかもしれません。
Sクリニックでは”ギャンブル依存よりコミュニケーションの問題を改善した方がよい”と助言された理由は、このあたりにありそうです。
③質問には答えるが、どこか、反抗的で冷笑的な印象のように感じられること。
これまでの人生の経過から、助けが必要なときに誰からも助けてもらえず、自分の境遇についてどこか"諦め"ている節が感じられ、達観してしまっているような印象を受けました。それゆえ、これまで助けを求めたい機会は山のようにあったのに、そのときには誰も助けてくれなかったじゃないか、という心の奥底に残る怒りの炎から、いまごろ支援や支援を行おうとする人たちに対する拒否感や反発感が生まれてくるのかもしれません。他方で、自分以外はすべて敵だと、極端な達観に達するまでには偏っていないらしくはなしを聞きいてくれる様子は感じられるため、認識を改めていく可能性は残されているかもしれません。
5.支援方針の設定と実施方法
Dさんはうまくいかなくなるとギャンブルにのめり込み、生活を破綻させるということを繰り返しています。ギャンブル嗜癖で、かつ病識なし、と見立てられそうです。言い換えれば、ギャンブルとの付き合い方を見直していく必要がありそうです。
尚、このブログでは、これ以降、ギャンブル「依存」を、「障害」と改めます。依存は物質に依存している状態のことをさし、ギャンブルがやめられないという状態は行動の依存とみなされ、後者のことを嗜癖と呼んでいます。精神医学用語としては、ギャンブル嗜癖のことを病的賭博、あるいはギャンブル障害といいます。以上の経緯をふまえ、私たちは、ギャンブル「障害」という言いかたをすることにします。ちなみに、ある行動をせざるをえないという依存としては、ギャンブルだけでなく、ゲームや痴漢行為なども含まれます。
Dさんの場合、ギャンブル障害という「病気」について理解してもらうとともに、「自分は病気である」という病識を獲得してもらうところから支援をはじめていく必要がありそうです。病識を獲得したのち、治療プログラムへの参加を促さなければ、治療プログラムの効果はないのではないかと見立てられます。
次に、どもりや痙攣、それと反抗的で冷笑的に感じられる態度の問題についてです。これは、不安障害や対人恐怖に起因する反応のようにも感じられ、その背景には父親との関係がかかわっているのではないかと見立てられそうです。改善にあたっては、心理カウンセリングを利用する方法がありえます。ただし、心理カウンセリングは、自分の気持ちや行動を言葉にできる能力や言葉の意味を正確に理解できることが求められたり、能力的に一定の条件を満たす必要があるため、少なくとも言葉の運用能力と理解力について確認しておく必要があります。
施設での共同生活をとおして、他人から受け入れられる経験を積んでもらい、自己肯定感を育んでいくことも支援手法として有効かもしれません。
最後に、借金については自己破産の手続きをするしかなさそうです。お金を借りてまでギャンブルできないようにする必要もあります。
というのも、ギャンブル障害は、脳の報酬系とよばれる仕組みがギャンブルという刺激と結びついてしまうがゆえに、「わかっちゃいるけど、やめられない」状態に陥ってしまう障害だと考えられているからです。いったん結びついてしまうと、食欲や性欲といった命にかかわる刺激と同じか、あるいは以上に報酬系を刺激する要因とってしまいます。ギャンブルすることだけがその人の生きる目的となり、それ以外のことは手段化されてしまうため、最終的には、本人の人格まで変化させてしまいます。ギャンブルをし続けるためには、平気で隠しごとや嘘をつけるようになり、人をだますことも躊躇なくできるようになります。
こうした人格変化等の特徴を理解したうえで、適切な距離をとった対応ができないと、泥沼にはまっていくことになりがちです。とくに親族など身近な人であればあるほど、助けようとして逆にギャンブル障害を抱える当事者に巻き込まれ、取り返しがつかなくなってしまうという意味で、恐ろしい病いであると言い切れます。
対応としては、まずなりより、本人だけでなく家族等も、あるいは異変に気づいた関係者だけでもよいので適切な専門機関につながり、助言をえることが重要です。そして本人が嘘をつかず、正直に身に起こったことをはなせる環境をととのえること。金銭的浪費に対しては、少なくとも第3者が介入してお金を管理し、他人や他機関からお金を借りられない環境をつくっていく必要があるといわれています。
金銭管理も本人が納得さえすればよいというものでもなく、できうるかぎり第3者も出入金状況を確認できる体制をつくっておく必要があります。残念ながら、預かり金の横領事件の加害者は、家族や施設職員だけではなく、公務員、はては弁護士まで含まれます。今回の事例でいえば、福祉事務所のケースワーカーという第3者が存在するため、月例報告をとおして確認できる体制を構築しています。
以上の、支援方針についてDさんと協議し、同意してもらうことに成功しました。そしてこの日から、約10年にわたる私たちの関わりがはじまることになります。
6.支援展開
(1)施設利用者だったころ~施設での支援初期
面談時、ギャンブルの話題になるととても冷笑的な反応を見せていたDさんでしたが、施設入所後は少しずつ、素直で協力的な態度をみせてくれるようになります。とはいえ、最初からうまくいったわけではありません。
施設入所初日、他利用者さんとの顔合わせのときのことです。Dさんは、いつになく緊張した様子で自己紹介をはじめました。見かねた高齢者の利用者Aさんが冗談を言ってその場を和ませてくれました。Dさんも思わず吹き出し、笑いだします。すると、別の60代の高齢利用者Bさんが「なに笑ってんだよ」と怒りはじめました。
その場の空気が張り詰めてしまったので、怒りだした利用者Bさんを職員が注意して、その場をおさめます。あとでその利用者Bさんに確認すると、「まだ20代半ばのくせに生活保護をもらうなんてありえない。だから、俺たちが舐められない」ように、あえて怒ったとのことでした。
Dさんは苦笑いのような引きつった表情を絶やさず、その場に座っていました。
この一件があってからしばらくのあいだ、Dさんは他の利用者さんと距離をとって行動するようになります。
例えば、当時は週末に地域清掃と称して、施設周辺のごみ拾いをしていました。朝8:30にはみんなで集合して地域清掃をはじめます。声掛けすれば、Dさんも参加はしてくれるのですが、ほかの利用者さんたちが出発したあと、10メートルくらい離れて、つかず離れずの距離をを保って、私たちのあとをついてくるような有様でした。
他の利用者とのぎこちない関係が続いていたある日、転機となる事件が起きます。高齢の利用者さんが風呂場の壁にぶつかり、壁にひびが入ってしまったのです。このままでは水漏れにより風呂場自体が使えなくなってしまう可能性がありました。すると、元内装職人だったDさんが、自ら補修を買って出てくれたのです。
つづけて、Dさんはトイレにウォシュレットを取り付けてもくれました。
補修材料買いだしのため、職員の私と一緒に買い物に出かけるようになり、Dさんと雑談する機会も時間も増えました。
そして、なぜ他の利用者さんと一歩距離をとった行動をしていたのか教えてくれました。20代半ばのDさんに向かって高齢の利用者さんたちから、「「なんで生活保護の施設にいるんだ?」「なんで働けるのに生活保護がもらえるんだ?」というような高圧的な態度をみせてていました」「(Dさんが)あいさつしても、誰もあいさつを返さず、無視されていました」「集団でのごみ拾いも、自分にだけ、集合の声がけしてくれませんでした」というような扱いを受けていました。
それだけではありません。そもそも「生活保護という制度のことを知りませんでした。だから、働かなくても、毎月お金がもらえるということがよく理解できませんでした。「あとで何か利用されるのではないか」「利用料金を払えといわれるのではないか?」と、不安でしかたありませんでした」と、施設利用時の心境も教えてくれました。
そうこうしていくうちに、ついにギャンブルの話題についても、話してくれるようになります。
まとめると、次のとおりです。
「コンビニの代理店長として働いていたとき、お昼を買いにやってくる職人のことを、とても格好よく感じていました。だから、次に働くのは職人だと決めていました。だけど、いっしょに働きはじめたら、学歴コンプレックス丸出しの人たちばかりでした。共通の話題は、下ネタかギャンブルくらいしかない」
「自分の父は自営業で羽振りもよかったんです。中学2年生の頃からコンビニの仕事を手伝っていたので、同級生を軽くみていました。そのあと職人として働きはじめてから、自分の勘違いぶりを痛感しました。コンビニで働いていたときは「オーナーの息子」というだけで、他の従業員から何も言われなかっただけだったのに、それを「自分は仕事ができるから」と勘違いしていたんです。職人になってから、かなり厳しく鍛えられました。いまの自分はその頃のおかげです。」
「お金持ちのときと貧乏のときの極端な経験をしたおかげで、とてもませていました。だから職人仲間から「すかしてるんじゃねえよ」といじめられました。職人仲間がどんちゃん騒ぎしたり、羽目を外した入りするのを一歩引いて眺めているだけで、関わりたいとはまったく思わなかったんです。それでも職人仲間と関わらざるを得ないときに、出会ったのがパチンコでした」
「いつも(Dさんのことを)怒鳴りつけ、小突いてきた先輩でも、仕事が終わると自分を車に乗せ、パチスロ屋まで強制的に連行され、降ろされました」
「はじめてパチスロをしたとき、ビギナーズラックはありませんでした。だけど、大音量と高速で光り輝く画面を見つめ、没頭してパチンコをしていると、心のなかに渦巻く嫌なことが忘れられていき、とても落ち着くことができました。職人仲間の誘いを断らず、それでいてひとりになれるパチスロにはまったのは、こうした理由が大きいと思います。だから、パチスロはお金のためじゃないんです。とても落ち着くからはまったんです」
「そのあと、パチスロ好きが高じて、パチスロ屋の店員になりました。そこでは様々な技を身につけました。不正行為を見抜けるようになるため、店員もひととおりの不正行為ができるように訓練するんです。そうしたテクニックをすべて身につけるまで我慢して、夜逃げしました。パチスロに全財産をつぎ込んで勝負してみたけど、まったく歯が立たず、すべて失ってしまいました」
「これ以上やっても儲からないと痛感したので、もう足を洗おうと思います」
とにかく風呂場の修善をきっかけに、施設利用者全員との関係が劇的に改善しました。とくに高齢の利用者さんたちから認めるようになります。ある高齢利用者EさんがDさんを映画に誘ったかと思えば、別の高齢利用者Bさんが外食へ誘うようになり、最終的には、Dさんの空き時間の奪い合いが起こるまでの騒動に発展していきます。
いま振り返ってみれば、この騒動こそがDさんの抱えるコミュニケーションの課題に起因する問題そのものだったのではないかと、いまの私は指摘できるのですが、そのときの私にとっては、何ら引っかかることはありませんでした。
ちなみに、何が問題なのかを先回りして指摘しておくと、父親の暴力におびえて過ごさねばらならいという生育環境から逃れられない生育過程で、Dさんはとある感覚を研ぎ澄まし、洗練させていくことになります。
それは、Dさんの本心とは関係なく、相手が望んでいるであろう気持ちを相手の言動や態度をとおして読み取り、先回りして相手にあわせることで機嫌を損ねないようにするという感覚です。
自分の本心とは違っていたとしても、相手の気持ちに寄り添った言動をとりがちになってしまうため、Dさんの本心は、相手に支配されているような感覚にとらわれてしまい、自分の気持ちを押し殺し続けるような感覚を抱き続けざるを得なくなります。
Dさんの表現によれば、「両親がケンカするのは自分のせいだと思っていました。だから、自分がバカなことをすれば、両親が「(Dさんは)ばかだなぁ」といって、仲直りをしてくれるのではないかと考え、ケンカになりそうになると、あえて両親の前でバカなことをしました。それで父からいきなり殴られるなんてことがしょっちゅうありました」
Dさんのこころの葛藤を知らない人からすれば、「気がつきすぎる」性格であるがゆえに、よく気がつく好青年だと評価したり、逆に、うっとしく軽薄なヤツとみられることにつながってしまうのではないでしょうか。
さて、はなしを戻します。3ヶ月もたたないうちに、Dさんは、施設で一目置かれる存在へと変わります。自己破産の相談も自ら進めることができ、生活も落ち着いてきたところで、「アルバイトをしたい」と希望できるようにもなりました。
この流れだけをみれば、とても前向きにがんばっているように判断してしまいそうです。
ですが、これこそ、依存・嗜癖の恐ろしさであり、「精神障害」とみなさなければならない理由がはっきりとあらわれています。
そもそもDさんは、国民の3大義務のひとつであるはずの"働くこと"を免除され、ギャンブル障害の治療に専念するために生活保護を受給したはずです。福祉事務所も施設側も、そしてDさんでさえ、この方針を共有し、納得していたはずです。
ですが、3ヶ月経っても、治療のはなしだけは一向に進まないのです。
根気強く通院するよう声がけしつづけた結果、ようやくDさんから報告があがってきます。
「先日、雷門メンタルクリニックに行ってきました。だけど、面談時間は3分しかなく、こちらの話を聞くようなこともありませんでした。なんだか流れ作業みたいだなぁと感じました。それと、お医者さんが金のネックレスや時計をじゃらじゃらつけていて、あまり相談したいという気分にもなれませんでした。以前通院していたSクリニックのほうが、まだ、ましでした。いちおう、「GA(ギャンブラーズアノニマスの略、ギャンブル障害の当事者が同じ過ちを繰り返さないために自らの体験を話し合い、励まし合うための自助組織、以下「GA」と表記します)に参加してから、また(雷門メンタルクリニックへ)来るよう」に言われました」とのことでした。
続けて「就労については「可」といわれた」との報告もありました。主に福祉事務所などで就労指導を行う場合、精神科受診中の支援対象者については、就労してもよいか医師に診断してもらうことがあります。
稼いだ収入については「職員の方で預かって金銭管理してほしい」と、Dさん自ら申し出てくれたので、生活が破綻するリスクはなさそうです。
ということであれば、就労意欲の高さを大いに評価してあげたいところです。ですが、Dさんの回答は、ギャンブル障害の問題を無視して、就労の段階に移ろうとしています。言い換えると、稼いだお金でギャンブルができる状況をつくりだそうとしているのではないかと見立てられるわけです。
当時はまだ3ヶ月間だけの関わりでしたが、ギャンブルの問題を除けば、人柄も生活状況も問題がないように感じられました。修善の手伝いだけではなく、ギクシャクしていた人間関係も、すっかり良好な関係に改善しています。こうしたDさんの能力だけを評価していくと、ギャンブル障害の問題が色あせていき、二の次の課題にまわしてしまいがちです。
ですが、雷門メンタルクリニックの先生は、初回面談の一瞬で気づいていたに違いありません。ギャンブルのために200万円以上の借金をし、いままさに自己破産の手続きを進めている段階で、生活保護まで受給せざるを得ない状況にまで追い込まれているはずの、20代半ばのDさんが、ギャンブルをやめたいと本気で悩むことなく、思い詰めてもいないことにです。言い換えれば、こうした状況をつくりだした自分自身に向きあおうとする気配がみてとれないのです。
つまり、この時点ですでにDさんは一種の人格障害に罹患しており、ギャンブルをするためであれば、自分にも他人にも平気で嘘をつける人格に変容してしまっていたのかもしれません。
そんなこととは露も知らず、当時の私はDさんのことを楽観的に捉えており、Dさんの希望どおりの支援を進めることにしていました。具体的には債務整理の目途がついたところで、就労活動に取り組み、就労が安定したら、アパート転宅を進めるという支援方針に変更してしまったのです。
肝心のギャンブル障害の治療が抜け落ちていることには気づいていました。ですが、福祉事務所の担当ケースワーカーとも支援方針は共有していたので、ケースワーカーさんからも声がけしてもらうことで、補完ができると楽観的に考えていたのでした。たしかに、さすがのDさんでもケースワーカーさんからの声がけは無視できません。
「GAに通ってから雷門メンタルクリニックを再受診します」とケースワーカーさんには返答しつづけていました。ですが、じっさいにはGAに参加することはありませんでした。事情を知った職員の私は、しびれを切らせて「一緒に行く」と申し出ます。するとさすがに「ひとりでGAに参加します」と誓ってくれます。
その翌日、結果を確認します。
「GAに参加しようと北千住にまでは向かったのですが、早く着いたので暇つぶしにパチスロをしてしまい、所持金をすべて使い切ってしまいました」と、どこかスッキリした表情で返答してくれました。
この頃は、金銭管理をはじめた直後だったので、生活費として40,000円以上預かっており、今月分の生活費をまるまるギャンブル浪費しても生活破綻には至らない状況でした。
そして、このあとDさんは率先して施設運営の協力をしてくれるようになります。高齢利用者さんがトイレで粗相をすれば、愚痴も言わずに昼夜問わず率先してトイレ掃除をしてくれたり、ゴミ出しを協力してくれるのです。
無言で手伝ってくれるDさんの姿をみていると、ギャンブル浪費してしまったがゆえに、何かしらの罪滅ぼしをしているのではないかと思えてこなくもありません。確かに、そういう気持ちがあることは否定できないでしょう。ですが、より重要なことは、こうした善行を重ねることで徳が貯まり、次回ギャンブルするときにツキや幸運が回ってくるはずだという一種の信仰をDさんは実践しているにすぎないという理解のしかたです。
どうですか、依存・嗜癖って恐ろしいですか?
翌月、月一回の生活保護費支給日を迎えた日のことです。福祉事務所まで生活保護費を一緒に受け取りに行くと、ケースワーカーからDさんへ「所在不明だった実母の住所がわかりました。経済的な扶養はできないと回答がありましたが、連絡は取りたいといっています」と報告がありました。
Dさんが、10年以上所在不明だった「実母に会いたい。住所を知りたい」と言い出すことは、しごく当然です。ですが、感動の再会という流れで、「今月の生活費は金銭管理せずに、母親と再会するための交通費等に充てたい」と、Dさんより相談を受けることになります。
先月の一件もあったので、ここは心を鬼にしてでも金銭管理の継続を主張しなければならない場面でした。
ですが、状況に流され、利用料を差し引いた生活費のすべてをDさんへ手渡してしまったのです。
翌日、母親との再会の顛末を確認します。
「実はきのうパチスロ店に行ってしまいました。交通費としてPASMOに入金した5,000円以外は、すべて(の生活費を)ギャンブルに使ってしまいました」と、今回もスッキリとした表情で報告がありました(ちなみに、他利用者さんに確認したところ、このPASMO入金のはなしも嘘のようでした)。
しかたなく、預かっていた残りのお金を、生活費に充てることにします。ですが、いま振り返ると、最初からこの預かり金を見越して、ギャンブル浪費した可能性がありえます。
母親と再会する名目でえたお金でさえギャンブル浪費したにもかかわらず、GAも雷門メンタルクリニックにも、参加や通院するそぶりはまったくありません。
その旨、職員の私がDさんに指摘すると、表情から笑いが消え、無言となり、そのまま外出してしまうのでした。
翌日、ケースワーカーから職員に相談の電話が入ります。
「Dさんが福祉事務所にやってきている。「雷門メンタルクリニックの診断は2分で終わったので通院しても意味がない。早く働きたい」とDさんは言っています。就労は可能だと思いますか?」とのことでした。
「施設での生活にも慣れ、特段することもなく暇をもてあましている状況になりつつあります。Dさんの問題は金銭感覚だけのようなので、働こうと思えば働けるのではないかと思います。ただし、就労自立(生活保護ではなく就労収入だけで生活できるようになること)したとしても、Dさんが生活破綻するのは明かだと思います。金銭消費能力の確認のために、たとえば、10万円くらいの収入が得られる仕事について、3ヶ月から6ヶ月ほど利用料や生活費をやりくりできるか、みてみるのはどうでしょうか」と回答しました。
Dさんが帰寮したあと、あらためて話し合います。
「雷門メンタルクリニックに行っても2分で診断が終わってしまい、本当に腹が立った。仕事をしたいと思ったのは、昨日、十数年ぶりに母親と電話ではなしができたからで、いまはとてもやる気がでています。気持ちを切り替えてがんばりたい。もちろん現金をもったらギャンブルに使ってしまう不安もある」とのことでした。
結論として、あと3~6ヶ月のあいだは施設利用と金銭管理をつづけ、就労収入を増やしながら金銭消費能力を確認することします。
こうして、最も重要な「ギャンブル障害の治療」という支援方針が消失し、その代わりに、ギャンブルしても「しかたないから、その都度仕切りなおして、がんばっていく」という方針に転換してしまい、それだけではなく、いつのまにか「ギャンブルする」という選択肢が生まれてしまっていることに、このときは気づけませんでした。
そのあとは、何をしても、すべてギャンブルに結びついてしまう生活がはじまっていきます。
たとえば、1週間分の生活費として1万円をDさんに手渡すと、「いまギャンブルしたい気持ちになったので、靴を買いに行きます」と言い残し、出かけます。
私はDさんの言葉を信用したのですが、施設を複数回渡り歩いた経験のある利用者さんからすれば、「あれは、「1万円の靴を買うなら、ギャンブルして2万円の靴を買おう。もしスってしまったら、靴は必要ない」という意味だよ」とのことでした。
帰寮後のDさんに確認します。すると案の定「ギャンブルしてしまいました。でも、9千円勝ちました」と、いつものとおりすっきりとした表情で報告があります。
この報告だけを聞くと、ふつうの人であれば、「9千円勝ったということは、現在手元に1万9千円残っている」と考えるはずです。ですが実際には、「ギャンブルしているあいだのうち、たしかに9千円勝った瞬間はあったが、最終的には負けて0円となった」という意味だと気づけるようになるのは、職員の私ももうすこし経験を積んでからのことです。
上述したように、ギャンブル障害の典型的な症状として、空気を吸うように嘘をつけるようになるという点が挙げられます。ですが、ふだんは素直で協力的なDさんの姿を見てしまうと、頭ではわかっていても、腑に落ちず、改心しているのではないか?と、つい油断してしまいます。
当時の私は、まだギャンブル嗜癖についての理解も認識も甘かったので、「ギャンブルしてもかまわない。金額を決めてそれを下回ったら、何時でもよいので電話連絡してほしい。ギャンブルしたい衝動が湧き上がったときも電話してほしい」など、もっともらしくきこえても、現実的には薄っぺらいテクニックを伝えて悦に入り、嗜癖は途中で止められるはずなどと、浅はかな考えにとりつかれていたのでした。
実際には電話を受け、話し込んだとしても、本心からやめたいという気持ちがDさんに芽生えていないかぎり、すべての支援は無駄に終わることになります。さらに困ったことに、ギャンブルで生活費を使い果たしたとしても、しばらく耐えれば、給与や生活保護で、また軍資金が手に入ってしまいます。こうなると、やめどきが見つかりません。
というよりも、ギャンブルするために生きていると信じ込んでいる人から、ギャンブルを取り上げることなどできないと表現するほうが、正確なのかもしれません。
(2)施設利用者だったころ~施設での支援中期
施設利用開始から6ヶ月経過した頃には、パートタイムの仕事もはじめ、月10万円ほどの収入を得られるようになっていました。とはいえ、現金を目にすると、どうしても職員にお金を全額預け入れることが嫌になり、何かしら理由をつけては、預け入れたお金を引き出したり、預けること自体を辞退するようになっていきます。
たとえば、実母だけではなく、「(F市に住む)実姉と会いにいくから交通費と食事代が必要」と、生活費以外に追加で生活費を引き出そうとするようになります。じっさい施設所在地とF市は離れているため、交通費がかかることは確かです。
ですが、実母のときと同じで、「待ち合わせ場所まで行ったが、早く着いたから」、あるいは「姉が遅刻したから」という何かしらの理由をつくり、待ち合わせ場所近くにあるパチスロ店でギャンブルをしたあと、「お金が尽きたので会わずに帰寮した」と、はつらつとした表情で報告してくれるのでした。
ときどき実姉と話したという内容を伝えてくれることもあるのですが、実姉と電話ではなした内容を職員に報告しているだけで、実際に会って、はなしたようには感じられませんでした。
そのうち職員も経験を積むため、実母や実姉をネタに金銭管理を拒んだり、預かり金から引き出すことが、Dさんにとっても難しくなっていきます、すると今度は、仕事や買い物を理由に、支給日以外にお金を引き出そうとするようになります。
買い物に行っているはずの時間帯に、抜き打ち的にDさんへ職員の私が電話をかけると、あきらかにパチスロ店の店内にいる気配がしたり、「パチスロ店に行きそうだったけど職員の電話があったから我に返ることができて、散髪にいけました」というような露骨な嘘を繰り返すようになります。もちろん帰寮したDさんは、散髪などしていません。
こうして、お金に関係するDさんの発言は、すべて信用できなくなっていきます。
この結果、服を買うとなれば、職員の私が一緒に同行し、支払いを代行するようになります。
この頃のDさんは、裁判所に出向て自己破産手続きも完了させていたため、借金はできません。生活保護法上してもいけません。ところが、いつのまにか実母から現金書留が届くようになってしまったのです。どのような事情があるにしろ、Dさんを捨てた実母の弱みにつけ込んで、現金を送らせていることが明らかになった瞬間です。職員としては、Dさんに収入申告するよう念押しすることくらいしかできません。
さすがにここまで職員の私にバレると、Dさんも金銭管理を拒み続けることができなくなります。母親からの仕送りがバレたことをきっかけにして、Dさんは仕事を辞めてしまいました。
と、同じ時期から、トイレにタバコの吸い殻を捨てて、便器を詰まらせるという事件が連続して起きます。事件発生当初、犯人はわかりませんでしたし、あえて犯人捜しはせずに、全利用者に注意するだけにとどめて、様子を見ることにました。
ですが、犯人はDさんだとあっけなく判明してしまいます。犯人だと疑われること自体がいやだと感じた利用者さんたちが、犯人を特定したのでした。あえてトイレを詰まらせて、それを修善する姿を職員の私にみてもらうことで、失った信用を取り戻すというよりも、むしろ高めることができ、金銭管理のお金を少しでも多く引き出せるかもしれません。それだけでなく、みんなから感謝されることで徳も高まります。
このような人格であるということを、職員の私にようやく冷静に受け止めることができるようになった瞬間です。
こうした経験を積んでいくと、「ギャンブルに行く機会は減ったけど、負けることも多くなり、ほとんど儲からないです」「ギャンブルする頻度は確実に減っています」とこたえるDさんに対しても、「頻度ではなく、限られた生活費のなかで、うまく生活できているか?」と、冷静に質問し直なおせるようになれます。
これに対し、Dさんは苦笑いして外出するようになります。そして、お金が残っていれば、帰寮後、大量の食料を購入してた袋を両手に抱え、見せつけるようにして自らの居室に戻ります。逆に、しばらくて落ち込んだ様子で帰寮する場合は、「ギャンブルに使ってしましました。自業自得なので我慢します」と述べ、あたかも職員の私が質問したことをきっかけとして、ギャンブルをしてしまったかのような様子で、居室に戻って、閉じこもる生活を繰り返すようになります。
そんなある日、「実は、最近パチスロ楽しくないんですよ。というよりも、やりたくなくなってきました」と、Dさんから告白がありました。ですが、その頃の私は、「それって、嗜癖が深刻化してきたんじゃない? 楽しいからやってたのに、「やめたいな」「苦しいな」と思ってもやめられないから病気なんじゃないの? タバコだって一緒でしょ?」と、すかさず問い返せるまでに成長していました。
こうなるとDさんも、浮かべていた苦笑いが無表情にかわり、居室へ戻っていくしかなくなります。それがDさんと職員との見慣れた日々の光景となっていきます。
そんなある日、Dさんの先の発言をふまえ、利用者さんを集めた話し合いの場で、ギャンブル障害の話題を持ち出すことにしました。
すると、施設内で一番しっかりしているようにみえる高齢利用者Eさんが「じつは自分もギャンブルで身を滅ぼし、家族を失った。この歳になってやっと落ち着つくことができた」と身の上ばなしを語りはじめてくれました。
それをきっかけに元社長の高齢利用者Bさんも「自分もアルコールがないと気分が落ち着かなくなってしまった。それで会社を潰すことになったが、それでもやめられずにいた。その後、入院して生死をさまよってから、酒を絶つことができた」と身の上ばなしをしてくれました。
すばらしい光景だと感じましたか?
ですが実際には、「利用者Eさんが、(施設から少し離れた)パチスロ店から出てくるところを目撃しました」と、さも同類だといわん口調で、DさんがEさんの素行を密告してくれます。
Bさんについても、警察から職員の私の携帯電話に「お宅の施設の利用者Bさんが飲酒し、無銭飲食したあげく、酩酊状態で居酒屋の店員に暴言を発して困っているから迎えに来てほしい」との連絡が入ったことが複数回あったのでした。
つまり、いちど依存・嗜癖になってしまうと脳内変化だけでなく人格変化をも起こしてしまうため、完治せず一生つきあって行かざるをえなくなります。こうして生活保護制度に支えられながら、みんな嘘つきの自覚のないまま、生きているのです。
ほら、嗜癖って恐ろしいでしょう?
もっとも、この集会のあと、こんな大人たちにはなりたくないと痛感したのか、Dさんは「仕事を再開します」と高らかに宣言します。
その翌日ーー
「相談したいことがあります」と、Dさんが職員の私のところにやってきます。
「生活費に困っているのでお金を貸してほしい」とのことでした。
そうならないために金銭管理や通院等を提案し続けてきたことをDさんへ説明し、今回からはきっぱりと断ることにします。
すると「自分が依存症だと痛感しました」との発言がようやくDさんから出てきました。
こうして施設利用開始8ヶ月目にして、ようやく自らの課題を認めるに至ったのです。
この発言を受け、通院再開を条件に、求職活動の交通費だけは立て替え払いすると約束します。
(3)施設利用者だったころ~施設での支援後期
自らの病気を受け入れるとともに、気持ちも入れかえようとDさんは努力をはじめます。とはいえ、「はい、そうですか」と優しく受け入れてくれるほど、世間は甘くありません。
Dさんは20代半ばですが、高校中退のため中卒扱いとなり、そんなDさんが働ける仕事は、詐欺まがいのことが少なくありません。その求人内容と、実際の業務内容がかけ離れているのです。
例えば、ハローワークで見つけた求人票には、「日払い」と明記されていても、実際には週払いだったり、業務内容欄にはピッキング作業と記載されているのに、実際の業務は、引越補助や建築現場の作業員補助だったりするなど、明らかに違法性が疑われてもしかたがないような求人ばかりでした。
とはいえ、これまでのDさんとは、気持ちが違います。
愚痴をこぼさず「忙しくすればギャンブルする時間も体力もなくなると思う」というDさんなりの理由から、重労働をいとわず、仕事に取り組みます。
ある日は、こんなことがありました。教科書の仕分けの仕事から戻ってきたDさんから、「「簡単な仕事だ」と言われたんですが、実際には力仕事ばかりで、体中傷だらけになりました」と聞かされました。Dさんが袖をまくると、リストカットあとのような切り傷が腕中に刻まれていました。
そんな状態でも、現地で日払いのお金を受け取ってしまうと、どうしてもギャンブル問題を回避できません。「やっぱり、ギャンブルに使っていまいました。稼いだ日は立ち寄らず帰寮できたのですが、次の日が休みだとどうしてもギャンブルしてしまいます」と、充実した毎日を送っている雰囲気で報告してくれます。
そのあとも、仕事をして現金収入があると、翌日にはギャンブルに使い果たしてしまいます。
ですが、毎月の収入は福祉事務所に報告しなければなりません、これを収入申告といいます。収入申告した金額が認定されると、翌月に支給される生活保護費に反映され、減額支給されることになります。
来月の生活費のためにとっておくべき収入をDさんはギャンブルで浪費してしまうので、翌月支給される生活保護費はほとんどなく、数千円のお金で生活せざるをえない状況に追い込まれてしまいます。
生活費が貯められず計画的な金銭消費ができない状況をとおしてみえてくることは、どうやらDさんにとって、自分のこころ(ストレス)を癒やし落ち着かせるため、言い換えれば自己治療という目的のための手段としてギャンブルをしているのではないかという点です。
それだけではなく、Dさんの生活状況から、当初は気がつかなかった、というよりは、施設生活に慣れてきたDさんの緊張が解け、ふだんどおりの生活をすごすようになったからこそ明らかになってきたことは、どうやらネグレクトのような状態に置かれて生きてきたのではないかという点です。
例えば、歯を磨くという習慣が身についていないことがわかりました。急ぎ歯医者さんに行くよう予約を入れたときには、時すでに遅しでした。ほとんどの歯が虫歯だったために抜歯せざるをえず、手術の結果、26才で、ほぼ総入れ歯となります。
居室の衛生状態も、いつのまにか空き缶、空き瓶や弁当の空きパックが大量に放置されるようになります。声がけすると「あとでまとめて捨てます」と元気な返答は返ってくるのですが、ゴミを分別して仕分けすることに困難を抱えているようでした。
こうした状況を垣間見たとき、ふと「長期路上生活者と同じだなぁ」と感じたのですが、この直感の正しさを、職員の私はあとで知ることになります。
以上のような生活状況が気になり、雑談時にそれとなく幼少期のことについて話題を向けることにします、すると当時の生活状況が明らかになっていきまいた。まとめると次のとおりです。
「学校では、いつも廊下で過ごしていました。父から「D(さん)は、オレの長男だから、とうぜんオレのコンビニ経営を引き継ぐことになる。だから学校なんかで勉強する必要はない」と、いつも言い聞かされていました。だから、教室で授業を受けたことはほとんどありません。たまに教室内に入ることがあっても、同級生を見下して、ちょっかいを出してしまうので、いつも先生から廊下につまみ出されていました。廊下で寝っ転がっていているかぎりは、先生も殴ってきたりせず、(Dさんの存在について)目をつぶってくれていたので、いつも廊下で寝っ転がっていたんです」
父親についても、次のとおり、はなしてくれました。
「K県の警察官でしたが、脱サラしてコンビニ経営をはじめました。一見すると、とても人当たりがよく、誰にでもよい顔ができる人でした。本部の人からも人気があり、従業員もみんな慕ってくれていたんです。ですが、みんなのまえでは悪口も言わず、ニコニコしているものの、家族のまえでは、すぐに「あいつは使えない」と言いだし、突然その従業員をクビにしてしまうような人でした」
「そのうち母とケンカすると、父は家をでていくようになります。別のマンションを借りて生活をはじめるんです。でも、3ヶ月もしないうちに、借りたマンションを解約して、自宅に戻るということを繰り返していました。かなり稼いでいて貯金もあったみたいですが、マンションの賃貸契約に毎回お金がかかるので、貯金も底をつきます。そのすると本部に上納するお金や金庫にしまってあるお金にも手を出すようになってしまい、とうぜん本部に見つかり、コンビニの経営権を取り上げられ、クビになりました」
「そのあと、ペットショップを開業したのですが、すぐ動物を殴り殺してしまうんです。動物の遺骸をもった父が「D(さん)、これ川岸に捨ててきて」と、ニコニコしながら自分に渡してくるんです。見かねた実母が、自分(Dさん)の代わりに処分してくれました。でも、そうこうしているうちに、別の男を作って母は失踪してしまいました。それからは、父と2人で、動物の死骸を川辺に捨ててました。いま考えれば、不法投棄ですよね」と、ありふれた日常を語っているような様子で、笑いながら話してくれる姿が印象的でした。
「自己治療としてのギャンブル嗜癖」の背景には、以上のような過去がからんでいるのではないかと見立てられそうです。
金銭管理も継続していたのですが、いかんせん仕事はふつう以上にがんばることができ、その結果、就労収入が増えてしまうため、それと逆比例するかたちで生活保護費が減額されていき、ついには不支給の水準にまで達します。収入額が大幅に増えた結果、以前受給していた生活保護費の一部を返還することになります。
収入が増えること自体はとてもすばらしいことなのですが、計画的に消費すべき収入を、一瞬でギャンブル浪費してしまうため、自分で貯金できず、職員の私も現金を預かることができません。
ついに、生活破綻するに至ります。
と、同時期に「仕事は辞めます」との報告もありました。「体調悪かったので派遣会社に連絡した上で、一日休みました。それで今日仕事に行ったのですが、派遣会社から職場に連絡がなかったらしく、職場の人から「無断欠勤だ」と強く叱責されます。派遣会社に抗議の電話をしたら「派遣会社だけではなく職場にも連絡することは、とうぜんの社会常識」と、これまた強く言われてしまい、やる気を失いました」とのことでした。
生活破綻し仕事も辞めたDさんでしたが、通院については、結局できずじまいのままでした。
Dさんはまだ若く、自分が「ギャンブル障害である」という病識も芽生えはじめています。金銭管理も受け入れているいまなら、ここが支援のふんばりどころではないかーー職員の私はそう判断してしまいました。
今回の生活破綻の原因は、もちろんDさん本人が浪費したという点につきます。ですが、得た収入をDさん本人が受け取ってしまうところにも支援の限界があったのではないかとも考えられます。
だとすれば、給与の金銭管理もできる当会の職員として働いてもらえばよいのではないかーー
「支援付きという条件で施設職員をしてみませんか?」と提案をしたのは、Dさんが都営住宅の特別割当に当選し、施設から引っ越すめどが整った日のことです。
実は、これ以前にも2回、特別割当を利用して、Dさんは都営住宅に当選していました。ですが、「ひとりでやっていく自信がない」「ケースワーカーさんと施設職員さんを裏切らないか不安」という理由で、2回とも辞退してきました。
今回も辞退しようとしていたのですが、そのタイミングで提案することにしました。
福祉事務所のケースワーカーさんも「ギャンブル障害でいちばん苦しんでいるのは、Dさん本人です。だから、これ以上自分を責める必要はないです。金銭管理も「自分でできる」と言い張っていたのに、いろいろ紆余曲折を経て、いまでは「自分だけでは不安かもしれない」という気持ちにかわったと思います。この「変われたこと」がとても重要です。ですから、生活保護を継続して都営住宅に引っ越し、そこから就労自立に向けてがんばっていくことは大賛成です」と応援してくれました。
今回は当選したあとも当会との関わりが続くこともあり、Dさんも都営住宅へ引越する決心を固めることができました。当会施設での仕事についても「父も公務員だったので」とのことで、Dさんも快諾してくれました。
こうしてDさんが嫌がらないかぎりは、一生の付き合いをとおして支援をおこなっていくことができるのではないか、などという浅はかな欲望に依存していたのは、他ならぬ職員の私のほうでした。
月日はめぐり、都営住宅引越まで残り数週間となったある日のことです、アパート転宅した利用者さんの居室をDさんと私で一緒に掃除したあと、施設近くの牛丼屋さんで、遅めの昼食を食べることにしました。
Dさんは牛丼(並)を注文します。
普段の私にとって、牛丼は、いわば飲み物を飲むかのような速さで食べ終えます。いつ何時、緊急対応の電話がかかってくるかわからないという環境下で食事をするうちに、身についてしまった食べ方でした。ちなみにいまは、ゆっくりかんで食べるように鋭意努力中です。
他方で、Dさんは牛丼(並)を、ひとくちづつ口に運び、何度も咀嚼して食べています。一口食べ終わるのに1分以上かけています。
私と真逆の食べ方をするDさんに「なんでそんなにゆっくり食べてるの?」と、思わず質問してしまいました。
「実は、義母と義妹と4人で暮らしていたとき、ひとりにつき1個ずつコンビニ弁当を買ってきて、朝昼夜の3回に分けて食べていました。お金がないときは、1個のコンビニ弁当を4人で分けあって食べる日もありました。そのとき、ゆっくり少しだけ食べるクセが身についたんです」と、Dさんの食べかたについて気がつき、その理由を教えてもらえたのは、この日がはじめてでした。
こうして、Dさんは都営住宅への引越を終え、晴れて当会施設の支援職員として一緒に働くことになります。
(4)支援付き職員の期間
職員となってからのDさんとのやりとりは、記述が容易ではありません。支援記録のような資料が残っていないからです。
そこで、当時のことを思い出せる範囲でまとめていきます。
職員として働きはじめたDさんは、とても気合いが入っていました。
「職員という立場で施設利用者さんを関わると、見えかたがかわった」というのが、初日の印象です。利用者さんがコソコソ悪だくみを企てていても、違法性がなければ、ふだんの職員は気づかないふり、知らないふりをしています。ですが、実際には利用者さんの行動を詳しく把握していることが少なくありません。
いわゆる大人の事情を知ったDさんからすると「利用者さんのときの考えかたがはずかしい。勉強になる」と感心しきりでした。
ギャンブル障害については、「一度罹患してしまったら、一生付きあわざるをえない病気」と繰り返し伝えていました。ですがDさんとしては、職員となったことを奇貨として「二度とやらない」と、このときのDさんは断ち切る決意を固めます。
ですが、そのかわり、だんだんとDさんの飲酒量が増えていったようでした。
もともと、体質的にお酒を受けつけないDさんだったはずなのですが、「ギャンブルしないと、仕事の緊張もあってか、夜も興奮が続いてしまい、寝れなくなるので、寝酒するようになりました」と、教えてくれました。そのあとも、雑談の中で寝酒の話題がよくでてくるようになります。
飲酒にともなう眠りは、睡眠の質がもっとも悪いことが知られています。とうぜんDさんも、寝酒で睡眠導入はできても、途中で目が覚めてしまいます。しかも酒を受けつけない体質のため、「(寝酒をして)途中で目覚めると、二日酔いのような吐き気とめまいがつづいて辛い」という訴えもあがってくるようになります。
仕事をとおして気づけることもありました。Dさん前後の年齢層の人は、スマホは使えても、デスクトップ型パソコンは「はじめて使います」ということが少なくないという傾向です。
それ以外にも、過緊張がみられるようになります。仕事の上で、福祉事務所や病院の担当者と電話連絡することがあります。Dさんが電話をするとき、とてつもなく緊張して、会話がしどろもどろとなるだけではなく、どもったり、顔の筋肉が振動するようになります。
Dさんいわく「相手の姿が見えず、声だけで相手の感情を読み取らないといけないので、自分でもあり得ないほどの集中をしてしまう」とのことでした。
以前コンビニの店員やパチンコ店員のときに、「緊張して体が痙攣を起こす」と述べていたときの状況を把握することができました。
「電話仕事はしなくてよい」と伝えていたのですが、この頃はまだ補助金もなく職員が雇えず、職員の私が多くの仕事を抱えていることを見ていたからか、Dさんは服薬しながら嫌な電話連絡を手伝ってくれるようになります。
こうして、ギャンブル障害ではなく、痙攣問題を解決するために精神科に通うことができるようになります。
慣れない仕事をこなしていかなけばならない大変な時期に、さらなる試練がDさんに襲いかかります。
住民登録をしたおかげて、アパートに「父親の管財人で、財産放棄をしてほしい」と弁護士から連絡が入ったのです。
この連絡をきっかけとして、長女だけではなく、次女とも連絡をとるようになります。問題は、生育歴の影響もあるようで、次女も生活破綻していたのです。生活保護制度を利用していなかったため、同じ境遇を経験したことのあるDさんが、次女の生活保護申請手続きをひとりですすめます。
たしかにDさんには種々の経験はあるのですが、生活保護制度の運用条件や基準を知っているわけではありません。実施機関によって考えかたの異なることもあり、あとから聞いたはなしによると、申請交渉にあたってはだいぶ手こずったようです。
そして、この次女との関わりが、Dさんを追い詰めていきます。次女のお金がなくなると、Dさんに無心するようになったからです。しかも、次女が生活扶助費(生活保護制度上の生活費のこと)を使い切る理由は、宗教への寄付、男への寄付、複数男性と恋愛を繰り返す、アニメマンガへの浪費、化粧品への浪費等、Dさんと同じ依存・嗜癖傾向が見てとれます。最終的には、人格障害と診断が下り、入院か施設異動を余儀なくされますが、これはまた別の話なので割愛します。
とにかく次女との関わりが精神的なストレスへとつながっていき、「ギャンブルしないと決めのはいいのですが、こんどは大酒を飲むようになってしまいました。飲酒すると体調が悪くなるので、やっぱりギャンブルをすることになってしまいました」と報告があった頃には、依存先は、ギャンブルだけではなくお酒へと広がってしまいました。
そして、この広がりこそが、依存症の典型的な特徴とされていることが、悲しい現実でもあります。
仕事については、職員の私がいくらでも調整つけられるのですが、個人的なことや家族の問題はそういはいきません。こうして、Dさんは自分の問題だけではなく、次女の生きにくさも抱え込んでしまい、こうしてDさんはギャンブルにのめりこまざるをえない状況を自らつくりだしていきます。
もちろん、職員の私がDさんの金銭管理を担当しており、Dさんと一緒に生活費をやりくしています。ですが、生活破綻の可能性が聞こえはじめます。
ある日、Dさん充てに無記名の封筒が届いたのです。Dさんと一緒に職員の私が封筒を開封すると、いわゆるヤミ金業者からの営業チラシでした。私はすぐに処分しようとしたのですが、Dさんの反応は違いました。しばらくチラシを眺め、「自己破産しているので、お金は借りられないと思い込んでいました。ヤミ金からでも融資のはなしをしてもらえたので、本当にうれしいです」と、本心から喜んでいるようでした。
銀行や消費者金融などの金融機関であれば、借金を禁止にする制度があります。ですが、ヤミ金までは止めようがありません。「しまった!」と不安を感じた私は、念のため、べつの職員にお願いをして、Dさんのお部屋まで同行確認してもらいます。
すると、「お酒の空き瓶と空き缶が大量に転がっていて、お部屋の中がすごいことになっています」と、まるで倒れた人でも発見したときのような興奮混じりの声で同行した職員から報告があがってきました。ごみの量がひどく、ヤミ金等のチラシ、借金や取り立て等の確認することはできませんでした。
電話を代わってもらい、「Dさんが自分で部屋の掃除ができないようなら、職員も協力して掃除する」と伝えます。すると、「余計なお世話です、自分でできます」と、憮然とした態度が伝わってくる口ぶりで返答が返ってきました。
冷静に考えてみれば、Dさんが掃除できないので、代わりに誰かがやらざるを得ないという状況なのですが、代わりに誰かが掃除をしたいという提案自体が、Dさんにとっては、自らの否定につながる批判としか捉えられないようでした
ちなみに、数年たっても問題は解決せず、しびれを切らした職員の私が、介入して清掃をすることになります。
そして、この居室のゴミ屋敷化を職員に知られたことがDさんの我慢の限界となり、ギャンブル再開の引き金となってしまいます。
しかも、これまでとは異なり、職員の立場を利用して、施設現・元利用者さんと一緒にギャンブルしてしまうようになります。Dさんからすれば、利用者あがりの職員という経緯もあいまって、利用者と職員という区別が希薄であり、Dさんにとって利用者は同志や仲間であるという感覚のほうが強かったようです。
たとえば、ある日、事務所でDさんと一緒に職員が仕事をしてたきのことです。ふだんは事務所に顔を出さない利用者さんが、Dさんがいるとときは事務所にやってきて短時間雑談して帰るというような行動をとるようになります。
不思議におもい、Dさんにはなしを振っても、ニヤニヤした薄気味悪い笑いを浮かべるだけでした。
そのあと、ある利用者さんからはなしを聞かせてもらい、職員の私は事態を理解します。
実は職員の私が帰ったあと、施設近くのパチスロ店で、Dさんと利用者さんたちが一緒にギャンブルを楽しんでいたのでした。しかもDさんが勝つと、得たお金を全部、一緒にギャンブルしていた利用者さんたちにあげてしまいます。その金額は、数万から20数万円までとのことでした。仲間はずれにされて面白くない利用者さんが、私に密告てくれました。
生活保護受給者の場合は、ギャンブルであっても収入をえた場合には、収入申告する義務が生じます。領収書がなく証拠はつかめないのですが、Dさんがあげたお金であっても、あいてが被生活保護者であれば収入申告義務があり、無申告だった場合は、立派な犯罪となりえます。
これだけでも職員としては問題なのですが、それだけではありません。ことあるごとに、Dさんは「今日できる仕事は明日やる」と発言し、後輩職員を笑わせていました。冗談かと職員の私は聞き流していたのですが、実際に仕事をせず、パチスロ屋に入り浸っていたのです。それだけではなく、小口現金を当然のようにギャンブル浪費し、洗剤、炊飯器やテレビ等の消耗品や備品を、利用者さんに無断であげてしまったり、利用条件のあるWIFIインターネットを無断で利用者さんにも利用できるようにして、業務ネットワークをウィルス感染させたりします。
利用者さんの居室清掃をおろそかにして、居室中をカビだらけにしたり、上司に報告せず風呂場の床を腐らせ、基礎部分にまで被害を与えることもありました。
こんな有様にもかかわらず、Dさんは自分の問題はさておき、当会のやりかたについて、「考えかたが違う」「やりかたが違う」と利用者に愚痴りはじめます。金銭管理をしている理由があるにもかかわらず、「自分で稼いだお金を、自由に使わせてもらえない」「いくら貯金があるのかもわからない」「仕事を辞めたい」と、後輩職員に愚痴るようになります。
一見すると好青年に見えるDさんから愚痴をきくと、あたかもDさんが正論を述べているように感じられます。そして、金銭管理など、ふつうの人から見れば、Dさんの生活に過度に介入している職員の私のやりかたをみて、「Dさんは(職員の私に)支配されている」とDさんに同情的になっていき、仕事に対する不平不満をDさんにはなしはじめます。
こうしてDさんと関わる職員たちは「それじゃ一緒に辞めましょう」という結論に向かって愚痴を続け、退職のはなしがまとまると、「俺、ギャンブル辞めませんから」と、職員の私のまえでDさんは揚々として宣言します。こうして、退職する職員が続出しだします。
ところが、張本人のDさんは「あれからよくよく考え直したんですが、やっぱり自分にはこの組織しかないんで仕事を続けます」と、平然と言ってのけるのです。というよりも、いまにして思えば、他の職員を退職させることで、職員の私の気持ちが、Dさんだけに集中するようにしていたのではないかとも見立てられそうです。
つまり、どうやらDさんは利用者さんや他職員に対しても依存していたように感じられるます。振り返って思い出せば、「ギャンブル依存よりもコミュニケーションに課題あり」という精神科医の指摘は、この人格障害的な傾向を感じ取っていたのかもしれません。
ですが、人格障害的であるということは、そのツケを自分でとらざるをえなくなるということを意味します。
Dさんの支えとなっていた職員が全員退職してしまった結果、Dさんはひとりぼっちになってしまいます。そして精神科受診理由も、いつの間にか、過緊張治療からうつ病治療へと変化します。
人材不足の状態ではありますが、長年関わってきたDさんのため、Dさんが長期休暇をとれるように調整します。
こうして、Dさんとの別れを迎えることになります。
Dさんが長期休暇を取得しはじめたころ、Dさんの愚痴を聞いていた利用者さんから次のようなことを教えてもらえました。
義母義妹の家から飛び出したDさんは、貯金を元手にプロギャンブラーとして生きていこうとします。しかし、貯金が底を尽きてしまい、電車で多摩方面に向かいます。
そして偶然到着した公園で首をつって死のうとしたところ、これまた偶然肝試しをしていた若い男女カップルと鉢合わせしてしまいます。バツが悪くなり、自殺を断念して、そのままベンチで寝てしまったそうです。
次の日の朝、目が覚めると、体中にナメクジが這っており、びっくりしたDさんは急いで公衆トイレに駆け込みます。水で体を洗おうとしたのですが、地元の中学生とおぼしき集団がトイレに向かってきたため、Dさんも大便用トイレに入り、鍵を閉めます。運が悪いことに、中学生集団は、トイレに閉じこもっているDさんの存在に気づくと、金品を要求しはじめます。なにも答えず黙ってやり過ごそうとするDさんに対して、その集団は、トイレの上から、Dさんに向かってゴミや石を投げ込んだあと、そのままどこかに行ってしまいます。
悔しい思いをしたDさんはやけになり、もときた道を戻りながらコンビニを見つめます。店のなかに入ると、レジのそばにいた店員に向かって「金を出せ」と叫び、すったもんだのあげく、Dさんは強盗未遂として逮捕されます。実刑判決がでて、刑務所に入ったそうです。
ですが、この話を職員の私が聞くと、すぐに嘘だと気づけます。1回くらいの強盗未遂では、逮捕拘留はあっても、起訴まではされないからです。受刑歴が本当だとすれば、実刑判決までに複数回の軽犯罪歴があったか、もっと重い犯罪を犯していなければなりません。Dさんの人となりからして重犯罪に手を染めることはなさそうです。とすると、何度か万引きや強盗まがいの犯罪を犯していたのではないかと、推測できます。
そして、受刑中の服役者や刑務所の刑務官等から、生活保護制度や自立支援センターの存在を聞く機会があったのではないかと思いました。つまり、Dさんは、自分自身をだましきれずに苦しんでいたかもしれないのです。
(5)支援付き職員の期間ーそして入院へ
長期休暇にあたっては、Dさんが仕事といっさい関わらないように、業務用に貸与しているノートパソコンや携帯電話を預かることにしました。ただし、1週間分の生活費を受け取るため、毎週Dさんは施設までやってくることになっています。
預かってから数日たったころ、ある事実が発覚します。
Dさんから預かった業務用携帯電話については、福祉事務所等から連絡が入るので、使えるようにしておきました。すると、一通のメールが届いたのです。金融機関からの借入金滞納の催促メールでした。自己破産をしてから10年ちかく、職員の私が金銭管理を続けてきたため、いつのまにか信用情報が回復していたのです。
このことに気づいたDさんは、ネット銀行と消費者金融から借金をしていたのでした。
1週間分の生活費を受け取りにきた、Dさんにメールの件を問いただします。
「自分の生活費の範囲でお金を借りて返済しているので、なんで(職員の私から)批判されないといけないんですか?」と、とても不満そうな口調で返答がありました。詳しく確認すると、合計で約180万円の借金がありました。金銭管理で受け取っている生活費ではすでに分割返済が難しい状態にあり、生活破綻していることは明らかです。
借金については、金銭管理の貯金をすべて引き出して、即時返金できました。
そのうえで、Dさんと一緒に精神科クリニックを受診します。すると担当の先生から「病的賭博であり、環境因子が大きく働いている。退職が望ましい。速やかに環境を変えること」という指示を受けます。
ということは、Dさんがギャンブル、酒、人に依存せざるをえない状況に陥ってしまった原因は、いまこの記載をしている職員の私自身のせいではないかといえるのです。しかも、ギャンブル障害を抱えている当事者が更生し、支援者として一緒に働いてほしいという私の醜い願望を、Dさんに押しつけ続けてきた結果かも知れないのです。つまり、私のほうこそ支援をとおしてDさんに依存していたのかもしれません。
やっぱり、依存症って怖いです。
診断結果を受け、Dさんは久里浜医療センターに入院します。入院後しばらくたってから、Dさんは正式に退職し、金銭管理は実母が引き継ぎました。入院以後、Dさんからの連絡は一切ありません。
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のびた (火曜日, 26 11月 2024 18:31)
未だ高齢でなさそうですので、まだまだ一波乱ありそうな感じがしますが、ご本人が納得するように生きてゆくのでしょうかね。節々にDさんの拘束されたくないという想い、垣間見えましたし、理解出来る面もあります。今後、納得いくまでギャンブルをし続ける感じでしょうかね。その際に資金調達方法として犯罪に手を染めることがあっても驚かないですね。未だ高齢ではないので、施設のサポートが必要だったのか?というのが私の所見です。